みなさんこんにちは!
モンテッソーリ教師のさちこです。
みなさんご存じモンテッソーリ教育の考案者であるマリア・モンテッソーリは、子どもたちを深く理解するため、長い時間をかけて観察したわけですが、その中で、子どもたちは共通して特定の行動をとる傾向があることに気付き、これを人間の傾向性と名付けました。
この傾向性は人間が大昔から持っていたもので、子どもだけでなく大人も同様に持っている普遍的な特徴です。
今回は、この人間の傾向性について、詳しく説明していきます。
人間の傾向性の定義
人間の傾向性は、人間の特性を獲得するための助けとなるもので、私たちの成長のために必要なものに出会えるように援助してくれるものです。
人間以外の動物は本能だけをもって生まれますが、人間だけはこの特別な傾向性を持って生まれます。
人間の傾向性の特徴
生まれた時代や場所、文化に関わらず、すべての人間が同じように持って生まれるものが人間の傾向性です。
誰かに教えられて身につける能力などではなく、生まれながらにして常に自分の中にあるものです。
子ども時代に顕著に特徴が現れ、大人になると段々弱まっていくといったように、程度の差はあっても、子どもから大人まで生涯にわたって続いきます。
他の動物にはない人間の特性である、言葉・知性の獲得や、道具を作り出したり使ったりする技術の獲得のために人間の傾向性はとても役に立ちます。
マズローの欲求の5段階説で知られているように、人間は、自己実現の欲求、所属の欲求といった欲求をもっていますが、これらの欲求を満たすサポートをしてくれるのが人間の傾向性です。
13の人間の傾向性
この傾向性は、物事に対する好奇心や何かを理解したいという欲求が元となっており、身体的・精神的に生活をより良くしていくために役に立つものです。
マリア・モンテッソーリは私たち人間を、「様々なそして途方もない願望を持った潜在的な探検家である」と考えていました。
大人同様、あるいはそれ以上に子どもたちは最高の探検家であり、可能な限り豊かな環境を探検したいと考えています。
こどもたちは自分を取り巻く環境や、世界の様相を知るために、様々なものを見たり、触れたり、五感を使って探求します。そうすることで多くのことを学び、学べば学ぶほど自分自身と世界の関係性がどんなものであるか、そして自分が何者であるかを理解するようになっていきます。
この探求の傾向性は子ども時代にはとても顕著にみられるものですが、大人になると弱まってきます。なぜなら、私たちは年を取るにつれて現状維持が快適になり、自分たちのやり方に固執するようになるからです。
「メールよりFAXがいい」「今まで通りのやり方がいい」といった風に大人はなかなか変われないものです。
見当識は、自分の周りの環境がどのようなものであるか見当をつけるということで、前出の探求の傾向性と一緒に機能します。
すべての人間はまず、安全と感じられる場所・空間を見つける必要があります。自分がどこにいるかを把握し、次にどんなことが起こるのかを予測することができるようになってはじめて周りの環境を探求することができるのです。
例えば、初めての土地に海外旅行に行ったらまず、滞在先のホテルにチェックインをして、住所をメモしておくという人は多いのではないでしょうか。
何かあったらここに戻ってこられるという安心感を得ることで、観光に出かけることができるわけですね。
これと同様に、この世界に来たばかりの子どもたちもまず、自分を取り巻く環境がどのようなものであるか見当をつけ安心感を得る必要があります。
モンテッソーリ教育では、特定の人がケアをしたり、部屋の家具の配置を変えないようにしたり、トッポンチーノを使用したりすることで子どもたちに安心感を与えることを重要視しています。
秩序の傾向性は、環境の中にある基本的なパターンを把握するということを意味します。
この秩序はものの配置といった物理的な秩序かもしれませんし、言語の文法のように知的な秩序かもしれません。また、公共のルールのように社会的な秩序ということもあるでしょう。
子どもたちにとって秩序は世界を教えてくれる重要な存在といえます。生まれたときには当然この世界のことは何もわからないため、パターンや秩序が整っているものを探し把握しようとします。そうすることで、見当識を獲得し、探求することができるようになるのです。
よく育児本などに1日の流れをルーティン化しましょう!と書かれていますが、ルーティンも秩序のひとつです。1日の流れが決まっていると子どもは次に何が起こるか予測できるため、安心して過ごすことができます。
人間には、人とつながりたい、相互理解、意見交換がしたいという欲求があります。
このとき、言葉によるコミュニケーションが主な手段になるため、言語を習得することはコミュニケーションの欲求を満たす一助となります。
言葉はそれぞれの言語によって構造が異なっており、文法構造が変わってしまうと意味がわからなくなってしまうため、正しい言語(文法の秩序)を子どもに伝えることがとても大切です。
マズローの欲求の5段階説にも所属の欲求と言うものがありますが、モンテッソーリ教育の傾向性の理論でも、集団に属することへの欲求が登場します。
大昔から人類は集団で生活し、お互いに助け合い人間性・社会性を獲得してきました。
生まれたての赤ちゃんはまず自分をこの世に産んだ母親を探し、つながりを求めます。これは共生期間の理論でも出てくるものですが、まず母親との関係を構築し、その安心感をよりどころとして、世界に対する信頼感、自分自身に対する信頼感を獲得していきます。
抽象化という言葉は少し難しいかもしれませんが、対象となる物事から重要な要素だけを抜き出して本質をとらえるということです。この傾向性は、具体的な経験を十分に積んでいない限り、発揮することができません。
例えば、以下の写真を見てみてください。
何の写真ですか?と聞かれたら、皆さんイスの写真だと答えるのではないでしょうか。
このとき私たちは、色が違っていたり、材質が違っていたり、形が違っていたり、といったそれほど重要でない情報を取り除き、座るものという要素だけを抜き出して判断しています。
これができるのは私たちがこれまでに、学校やオフィス、家具屋さんなどで様々な椅子に座ったり見たりした、具体的な経験があるからに他なりません。
抽象化の能力、つまり物事の本質をとらえる能力は社会人として生きていくためにもとても重要です。
子どもたちに具体的な経験をたくさん提供することで抽象化の能力を高めていくことができます。
想像力とは、アイディアを出し、今までになかったものを作ることで、心の中で概念を作成し、変更する能力と言えます。
想像力の重要性と有用性については広く認識されていて、「子どもの想像力を育てよう」とよくいわれますが、3歳未満の子どもの場合、注意が必要です。というのも、抽象化と同様に、想像力は認知発達の上位段階であり、前向きで生産的な特性となるためには、環境における強固な基盤が必要だからです。
そのため、想像の基盤となる具体的な経験が不十分な3歳未満の子どもたちに、現実とは違うものやおとぎ話などの概念を紹介することは非生産的であり、むしろ有害であるともいえます。
モンテッソーリ教育といえば「おしごと」というイメージを持っている方も多いかもしれませんが、マリア・モンテッソーリは、子どもが手を動かして何かの作業をすること(=おしごと)は子どもの自己形成、自己構築といった発達にとって、とても重要であると考えていました。
仕事とは、私たち大人の感覚では、「報酬を得るために何らかの業務に取り組むこと」と定義できます。そのため、子どもたちがあちこち動き回ったり、口に入れてみたり、掴んだり、投げたりしている様子を見ると無意味に思えるかもしれません。
しかし、こういった活動も子どもたちにとっては自立と尊厳、そして安心感といった報酬を得るための大切なお仕事なのです。
大人と子どもでは仕事・活動の目的や内容が異なることを認識し、子どもの仕事を判断したり停止したりせず、刺激的で適切な環境で自分のペースで働く自由を与えてあげましょう。
手を使った作業は知識向上のために必要なことであり、手を使うことで私たちを取り巻く環境や世界を知ることができます。
次は、繰り返しの傾向性です。
子どもたちと公園に行くと、すべり台を何回もすべったり、雲ていを端から端まで何往復もしたり、繰り返しの場面を目にする機会が多くあるかと思います。大人からすると、「あと何回するの?」とうんざりしてしまうほどですよね。
しかしこのときには繰り返しの傾向性が働いており、前にもやったことがあるという安心感があったり、繰り返すことで新しい発見があったり、もっと上手にできるようになったりとメリットがたくさんあります。
大人にも、繰り返しの傾向性は見られるもので、例えば行ったことがあるお店だと安心感があったり、今日はこっちのメニューにしてみようと冒険してみたりと楽しみの幅が広がるものではないでしょうか。
前出の繰り返しの傾向性と併せて、人間は自己訂正の傾向性も持っています。
よく子どもたちの様子を観察していると、この特性を顕著に見て取ることができます。例えば、2~3歳の子どもがトウモロコシを見て、「とうもころし」という場合、大人がわざわざ「とうもころしじゃなくて、とうもろこしだよ」などと教えなくても「とうもろこし、美味しいよね」と応答しているだけで、次第に正しく「とうもろこし」と言えるようになっていきます。
他人に訂正されるのではなく、自分で気づき、訂正するという過程は自己肯定感を獲得するためにも非常に重要なものです。
正確性の傾向は「繰り返し」「自己訂正」の傾向とかかわりが深いものです。
人間はできるだけ何かの動作を正確に行いたいという欲求を持っているため、何かを繰り返すなかで間違いや改善点に気付き、自己訂正を行うことにより、正確性を向上させていきます。
ただし子どもたちにとっての正確性は、大人から見た正確さではなく、自分のなかで満足ができる正確さを意味します。
大人にとっての正確さと子どもが自分で満足できる正確さは異なるということを私たちは理解し、余計な口出しをしないよう注意しなければなりません。
もし本当に正確性に欠けていた場合には、繰り返し・自己訂正の傾向性を発揮して子どもたち自身で正確性を高めていくことができます。
自己完成の傾向性は、他の誰ともちがう自分自身をつくるためのものといえます。自分で自分に満足できる状態、つまり自己肯定感を感じられる状態が自己完成です。
仕事、繰り返し、自己訂正、正確性、自己完成という5つの傾向性は密接に関連しています。
数学的頭脳とはいっても、いわゆる算数や数学ができるという意味ではありません。
私たちは日常生活の中で自然と、どっちが多いか比較したり、何かが発生する確率を予測したり、大きさや距離を認知したりとたくさんの数学的な考え方をしています。
この傾向は環境とうまくかかわっていくために必要な能力であり、人間に特有のものです。数学的な考え方が洗練されていくと、優先順位をつけて物事を判断することができたり、物事を推測したりできるようになります。
特に0歳から6歳の発達の第1段階では、この世界についての知識を習得するためにたくさんの活動が行われています。
おわりに
ここまでみてきた通り、傾向性は私たちが人間として生きていくことを手助けしてくれるものです。
私たち大人にできることは、子どもたちがより良い自分に成長していけるような場所や環境を整え、見守っていくことだといえます。子どもの持つ可能性を信じ、余計な口出しやおせっかいなアドバイスをしないようにしたいものですね。