みなさんこんにちは!
モンテッソーリ教師のさちこです。
今回のテーマは「吸収精神」
ということで、モンテッソーリ教育の中心的理論であり、実は身近な吸収精神について解説していきます。
基本的な考え方
吸収精神は6歳以下の子どもだけが持っている特別な感受性のことと定義されます。
この特別な感受性を持っていることにより、子どもたちは偏見や先入観なしに置かれた環境のすべてを取り込むことができ、それらを基盤として自分という一人の人間を形成していきます。
例えば、日本に生まれたのであれば日本語、フランスで生まれたらフランス語といったように子どもたちは教えなくてもその環境で使われている言語を習得していきますが、これは吸収精神の働きによるものであると考えられています。
吸収精神を持つ子どもたちは、言葉だけでなく、特定の状況でどのように振る舞うか、どのように挨拶をするのか、そして何をどのように食べるかといった文化についても学んでいきます。
これらはもちろん意識的に教えられているものもありますが、その多くは吸収精神によって自然に獲得されています。
吸収精神とマリア・モンテッソーリ
吸収精神はモンテッソーリ教育を語る上で欠かせない理論のひとつですが、この理論が確立したのはモンテッソーリ教育が始まってしばらく経ってからのことでした。
マリア・モンテッソーリが1907年に開設したモンテッソーリ教育の学校「子どもの家」は元々、3歳から6歳の子どもを対象としていましたが、後に6歳以上の子どもたちの教育にも携わるようになり、息子のマリオ・モンテッソーリとともにカリキュラム開発を行いました。
このとき、6歳から12歳の子どもたちを観察していく中で、この時期の子どもたちは大人とは異なっており、なおかつ、6歳以下の子どもとも違うということを発見しました。
これはつまり、6歳までの子どもには、何でも取り込んで吸収する力(吸収精神)がある一方、6歳から12歳の子どもには「理由づけする精神」があるという発見でした。
吸収精神の時期を過ぎた、6歳以上の子どもが持つもので、論理的思考や比較することを通して情報を吸収していく感受性のことを指します。
この段階ではすでに自己形成ができているため、環境に対する疑問が「なに?」から「なぜ?」に変化していくという特徴があります。
吸収精神はよく写真に例えられる一方、理由付けする精神は絵画に例えられます。
写真はレンズ越しに移るものすべてをあるがままに写し取りますが、絵画の場合、色を変えてみたり、木があるけど描かなかったりといった風に自分のカラーが出てくるということを表現しています。
6歳から12歳の子どもたちは、アーティストのように自分の関心があることや好きなことに焦点を当てるようになり、環境の中から取捨選択して情報を吸収していきます。
「子どもが目にするものは、単純に記憶されるのではありません。それらは子どもの魂の一部となります。目で見えるもの、耳から聞こえる世界全てを子どもは、自分の中に受肉化します。」
『子どもの精神』 マリア・モンテッソーリ
吸収精神の特徴
吸収精神は時代や場所に関係なく、全ての6歳以下の子どもに必ず現れるものです。マリア・モンテッソーリが吸収精神について書籍にまとめた当時、インドには様々な国の人々が生活していました。そのため、マリア・モンテッソーリはどんな国や文化の中で育ったどんな子どもも、同じパターンに基づいて発達していくという普遍性に気付きました。
吸収精神は子どもの環境への適応を助けてくれるものです。周りの言語や文化を吸収することで個性が発達し、人格が形成されていきます。
生まれたばかりの子どもは当然言語も文化もないまっさらな状態ですが、誕生後、周りにある言語や文化を吸収していくことで子どもの言語や文化が決まっていきます。
吸収精神は誕生から6歳までの子どもだけが持つ特別な感受性です。成長とともにこの感受性、環境を吸収する能力は失われていきます。
期間は限られている一方、吸収精神を活用して学べることは無限大です。例えば、バイリンガルやトリリンガルのように、住んでいる環境に2、3カ国語があったとしても、子どもは無意識に全て取り込むことができるということはよく知られています。
電車の名前をすべて覚えている子や、国旗と国の名前を暗記している子などがメディアで取り上げられて「天才!」と言われているのを見かけることがありますが、すべての子どもが吸収精神を持っているので、環境さえあれば誰にでもできることです。
これは言語の習得について考えるとわかりやすいかと思います。
子どもは、ある日突然喋ることができるようになったように感じられるものですが、実際は生まれてから、あるいは胎児の時期から、単語の音やリズム、口の動きなど、様々な情報を吸収しています。
しかしこのとき、子どもは私たちが言語を学ぶ時のように努力しているわけではなく、吸収精神によって、努力なしで言語を習得しているのです。
物事に対して先入観や偏見を持つことなく、すべてを吸収していくのが吸収精神の特徴です。好き嫌いといった感情に左右されず、また善悪の判断もなく、すべてを自分のものとして取り入れてしまうため、大人は環境づくりに注意する必要があります。
吸収精神を使って環境を吸収していく際には、言語活動や運動などの知的な活動を伴います。
例えば、赤ちゃんは生まれた時から、目で見たり、手で掴んだり、口に入れてみたりといった知的な感覚体験によって環境を吸収しています。
手を使うことによって人間になり、経験を通じて人間になります。
マリア・モンテッソーリ 『子どもの精神』
吸収精神を使って環境から学んだことはすべて一生涯、自分の記憶や知識として残ります。また、吸収精神は6歳までとされていますが、特に3歳までの吸収精神の力は強いといわれており、まさに、三つ子の魂百までという言葉にも通じるものがあります。
6歳までの期間に吸収したことは生涯に渡って個性の基盤となり、その後どれだけの言語や文化を学んだとしても、この基盤が消えることはありません。
大人が何かを習得しようと思ったとき、知性によって意識的に努力する必要がありますが、子どもは全てを吸収することができます。また、大人は新しいことに出会うと、無意識のうちに過去に見聞きしたものと比較し、「たぶんこれはこうだろう」とか「どうせこうだろう」と決めつけてしまう傾向があります。しかし、6歳以下の子どもは、あるがままを吸収します。
偏見や先入観が確立される前の段階の子どもが異文化交流をすることは、偏見や人種差別のない、平和な世界を構築することにも繋がるとマリア・モンテッソーリは考えていました。
吸収精神は、子どもの周りの環境で何が起こっているかを鏡のように映し出すものです。子どもが吸収したものは、後に表面化していきます。例えば、0~6歳の子どもの周りに言葉遣いの悪い大人がいると、子どもは同じ言葉を使うようになるというわけです。
また、鏡のように映し出す環境の中に何か足りないものがあれば、個性からも欠如してしまうのです。言語や運動など自己形成に必要なものを、必要な時期に吸収できなかった場合、後から習得することはとても難しくなってしまいます。
これは、オオカミに育てられた女の子「アヴェロンの野生児」の例からもよくわかります。
すべての活動(吸収)は個人の形成に役立つものですが、心と体は一緒に形成されていく必要があります。つまり、身体的な発達なしに精神的な発達はないということです。
例えば「つかまり立ち」自体は身体的発達ですが、これは自己肯定感や自尊心といった精神的発達にも影響しています。
マリア・モンテッソーリによると、吸収精神は無意識段階と意識段階の2つの段階に分けることができます。0~3歳の子どもは無意識に環境を吸収することから無意識の創造者と呼ばれ、3~6歳の子どもは意識的に環境を吸収することから意識的労働者と呼ばれています。
0~3歳:無意識の創造者 unconscious creator
無意識に環境をすべて吸収していく。底にあるものをすべて取り入れる。
3~6歳:意識的労働者 conscious worker
2歳半ごろになると無意識的な吸収からから意識的な吸収へと移行していく。自分が知っていることと知らないこと、やったことがあることとないことに意識的に気づくことができるようになり、意識的にすべてを吸収していく。
吸収精神の例え
この時期の子どもの吸収精神は汚れた水でもきれいな水でも、どんなものでも吸収するスポンジに例えられます。
真っ白いスポンジが黄色の水を吸い込めば黄色になり、青い水を吸い込むと青になるように、吸収した後は色や形が変わってしまい、元には戻せません。これは、吸収したものがその後生涯にわたって個人の基盤となることと同じで、貧しい環境であれ、豊かな環境であれ子どもはすべてを吸収していきます。
子どもの吸収精神はまた、カメラのようなものであるともいわれます。カメラはフレーム内にあるもの全てをありのままに写し出しますが、子どももまた自分の環境を取捨選択することなくすべて吸収します。
そして、写真を現像するのに時間がかかるのと同じように、子どもが吸収したものを自分のものにして表出させるまでには時間がかかるのです。
大人の役割
子どもはもちろんその環境と自分自身を観察し、うまく機能するように整えましょう。
観察をしているとうまくいかないこともわかってくる。子どもの発達の障害となっているものを修正することも大人の役割のひとつである。
子どもに自由を与える。できる限り沢山のことを選択させてあげ、気が済むまで何度でも体験させてあげる。人間は経験をもとに自分を構成する。子どもは特定の時間と場所にあわせて自分自身を作っている。
おわりに
吸収精神は、モンテッソーリ教育の理論のひとつではありますが、「三つ子の魂百まで」とうことわざもあるように、子どもには大人と異なる学習能力があるということは、私たち大人も何となく知っていたことではないかと思います。
マリア・モンテッソーリは生まれた国や地域、家庭の文化を教えられずとも学んでいく子どもたちの能力に「吸収精神」と名前を付け、あらためてその素晴らしさを認識させてくれました。
ひと昔前、あるいは現代においても、子どもは、中身のないバケツのようなもので、大人がその中身を入れてあげなければならないと考えられていました。
しかし、子どもたちには吸収精神があり、生きるために必要なことを自分で学ぶことができます。
私たち大人が何かを教え込む必要はないのです。
私たちはできる限り豊かな環境を整え、発達の障害となるものを取り除いたり、成長に合わせて環境を変化させたりすることで、子どもたちの成長をサポートしていきましょう。